ホンモノを知るお話の続き
今回は食事でホンモノを知る編<絶対味覚のススメ> のちょっとその前に・・・
日頃、食う寝る遊ぶというのは精神を安定させる三大要素と言われている。
その中で、1日三回(人によっては2回)は食事をする。毎日・・・。
毎日する事だからなるべく簡略化したいとも思うし、毎日に積み重ねだからこそちゃんと栄養バランスを考えて食するべき。。。子供頃、親から用意してくれる食事は、非常にバラエティに富んでいた。品数の多さもさる事ながら色合いや、料理の種類も和洋中と豊富だった。
話がそれたが、何も沢山料理を知る事が今回の目的ではない。誰かがおいしい料理をリーズナブルに提供してくれる訳でもなく場合によっては自分一人で食事をする事もある。ただ食べるという行為はどんなモノを食べても変わらない。だとすればどういう「食事」をすれば良いかを集中して考える。何はともあれ「おいしいモノ」「雰囲気のいいところ」「安いところ」など、食事をする際の重要なポイントは千差万別である。ただここに例を上げた「おいしい」「雰囲気」「安い」というのはすべて抽象的な話である。要は人によって基準が異なる。
自分で作る話になると長くなるので、今回は食事を提供される=外食という前提で話を進める事にする。早速だが、たまに以下のようなシーンでくわす事はないだろうか?
料理がおいしいと評判の店に友人といって食事を一緒にしてみたが、どうも評判ほどおいしいとは感じない。隣の友人を見るとおいしいと言っている。ん?そんなにおいしいか?それとも自分の舌がおかしいのか?
こういう時は、大概の場合、世間的に両方の意見が存在している。ただ、何を基準においしいと考えてるかが不明なので両者ともに正しいと言える。別にどっちでもいいじゃないかそんな事。と思う人がいるかも知れない。ただそう思った人はそこまで。
ここからは私の経験値だが、上記の場合大概評判倒れな事が多い。きっと「おいしいと評判」とした人の味覚が少なくとも私の「おいしい」より劣っていたのだろう。しょうがない。まあそういう時は、味を確認できたという事でよしとする事にしている。
ただ、この時その評判を間に受けて人に勧めていたとしたらどうなるだろう?しかも値段が高かったりしたら・・・・もし私が又聞きでそのお店を紹介されていたとしたら・・・・
まず最初に「評判」ほどおいしい訳ではないな。
しかも値段高いし。
続いて、紹介してくれた人の「味覚」はこれがおいしいの基準なんだ。
と考える。
その人がホントにおいしいと思って勧めてくれたのであれば、次回私がもっとおいしい所を紹介しようと思うけど、ただ人伝え、もしくはどっかの雑誌にのっていたのを転用されたとすれば、うーん?なんだこの人?と思うだろう。わざわざ確認する事はあまりないから、大概後者になる。
確認:食事は毎日するものなので、そんなに記憶に残すものではないからまいっか・・程度の気持ちで あるが、その人に記憶には確実に刷り込まれていく。
カンの良い人であれば、ここで「ピン」と来たかもしれない。
要は、日々に積み重ねな事であるからこそ、間違いのない情報を間違いのない形で伝える事。それをした上で相手を満足させられなければ、きっとその人から教示されるだろうけど、それを何も自分で咀嚼せずに、人に渡すと渡した人から?を受けるという事である。
ここでいう咀嚼=ホンモノである。
結局の所、現状のレベルが低くても自分の体験に基づく結果であれば、人はそれを受け入れてくれる。
所が、自分が経験もしないて情報だけで相手に接した結果は、人は受け入れてくれない。ここではおいしさを例えて話をしたがこれが雰囲気でも料金でも同じ事である。
咀嚼しないで渡した情報には殆ど価値がないから、渡されたほうも渡した側の「ホンモノ」に気づく事はない。結果、渡した側はいつまでたっても現状の「ホンモノ」が鍛えられる事はない。
本来であれば、世間でいうホンモノというものを見抜く為のブログを書こうと思っていたが、そもそものホンモノの価値観がずれると身もふたもないので、ホンモノは自分の中にある。という前提条件を記してみた。 今日はここまで。また次回。




