前回の続き。
代表者がつづる「ブログ」との向き合い方 続編
「ブログを書き続けられない落とし穴」
「自分はそれを(ブログで)伝えられる器を持っているのか?」
何もモノを書くという文才を持っているのか?を説いている訳ではない。
今回は、二つの観点で検証してみる事にする。
~検証1~ 時間の問題
世の中の会社の代表者さんの仕事。それはそれは激務である。
ビジネスプランの策定に始まり、年間計画、資金繰り、場合によっては
自ら営業もこなし、社員のケアと、1日何時間あっても足りない生活を毎日
送っている。そんな激務にもかかわらず、自らメッセージを世間の全方向に対して
伝える時間の余裕などあるのだろうか?多分時間は足りないのだろう。
そして、きっとその忙しさは、ブログで情報発信する事よりも、重要度は高いのだろう。
であれば、当然続くはずがない・・・
~検証2~ そもそも伝える必要があるのか?
ブログは情報を伝達するツール。すなわち広い意味でパブリシティツールである。
それを踏まえた上で、国内の会社組織という観点から社長が自ら書く必要性を検証してみる。
これは、国内の会社組織によくある事なのだが、会社の代表者がかならずしも
「ビジネス上の広告塔」である事というのはほとんどない。
これはどういう事かというと、日本の株式会社の社長は、元々広告的メッセージの発信者と
定義づけられていない事が多い。一般論として「社長=会社の顔」でないという事である。
といっても全く見えていない訳ではなく、名物社長!と世間を賑わせている会社も多く存在する。
また、ニューエコノミーを代表とする欧米のビジネス型の会社などは積極的に社長が
表に出てくる事もある。
しかし、一般論をあげると世の中の会社の代表者が「広告塔」であることは皆無である。
なぜか?日本式株式会社の組織の長い生い立ちの中で、「広報・宣伝」という業務は
役割として専門性を保ってきたというのが、理由の一つである。
また、広報や宣伝という行為そのものは、一般消費者向けに商売をしている業種がメインで
行われてきたので、人そのものよりもモノ・サービスに重点に置かれてきた歴史でもある。
人を売り込む為の宣伝にするという文化の発達はつい最近の事で、
人をクローズアップする事に日本の会社はまだまだ苦手な事が多い。
(まあそれが日本の文化でもあるのだが・・・)
逆の観点から考えると、過去の歴史の中で、日本の会社の社長のほとんどが
「広告塔」としての機能を求められてこなかった為、会社のトップに駆け上がっていく間に
「広告塔」という教育を受けていない場合がほとんどなのである。
参考例を挙げてみると、ニュービジネスのカテゴリーで携帯通信会社をみてみるとよく判る。
NTTドコモ,au,SoftBankの携帯メイン2キャリア、PHSキャリア、リセールキャリアを含めた
複数社の比較的規制された限られた数しかない業界である。
ここで、果たして何人の人が各会社の社長の名前と顔を思い浮かべられるだろうか?
まあ大概の人は、一人 softbankの孫社長だけではなかろうか?
車メーカはどうだろうか?
最近TOPの変わった、「トヨタ」の社長と会長の顔と名前が一致できるだろうか?
直ぐに重い浮かぶのは「日産」のカルロスゴーンではないだろうか?
(2007年現在、彼は日本の拠点の舵取りの代表者ではない。CEOではあるが・・・さて
日本人のCOOの社長と顔が一致するだろうか?)
アパレルブランドはどうだ?
昔からデザイナーとして名をはせた社長は別にしても、組織・会社の代表として
有名どころのブランドの会社の社長と名前は一致するだろうか?
私が思うに大衆に認識されているレベルでは、UNIQLOの柳井会長CEOぐらいなものではなかろうか?
という具合に、かなり大きな会社の社長ですら、ほとんどの人達がパブリシティとしての
みんなにイメージされやすい顔を持っていないのである。でも、製品は有名だしブランドは
周知されている。当然知名度も抜群で、会社の規模も大きいし収益性も高い会社は沢山
存在する。
そういう意味でいくと、孫社長、カルロスゴーン代表、柳井会長CEOは別格である。
三人の共通点は、自社の製品・サービスの大衆向け発表の場に必ず登場する。
そして、登場すると、常に世間になにかしら印象与えている。これはきっと社長としての
広告塔としてのトレーニングを受けているか、または天性の素質を持っていると言えると思う。
と、前置きがかなり長くなってしまったが、
要は、
1.「ブログ」で広告塔として活動する意味をわかっている(教育を受けている)のだろうか?
2.「ブログ」でなにかを伝える必要があるのか?
という事である。
1.の場合だと・・・
情報の受けて側が、情報発信の教育を受けていない人間の発言したものを見たり聞いたりして
感心・納得する時代ではなくなっている今、そんな人の話や語りは、きっと伝わらないだろう。
どんなに一所懸命伝えたとしても、それは伝わってないのと同じ。すなわち伝えていない事になる。
そして、発信者は「自分は伝えたけど、伝わらない。理解されない」と落ち込んでいく。
もしくは、効果がない事を理由に「無駄」と感じてやめていく。
ただ、ちょっと待ってほしい。広告という観点でTVスポットやラジオ広告の枠を、突然渡されて
なにが広告できるだろうか?15-30秒の間で・・・しかも代表者本人が視聴者・リスナーに向けて・・・
実は同じ事なのである。それが電波かWEBか紙かの違いにすぎないのである。
2.の場合だと・・・
会社の役割、存在価値として代表者が表に登場する仕組みになっているのだろうか?
代表者が表に出ない事がいけないという訳ではない。会社として収益を上げる仕組みに
社長自身の広告塔の仕事が組み込まれているか?という事である。
そんな事しなくても、収益を上げる仕組みになっている所に、いきなり代表者からメッセージを
発信し始めても、最初は興味本位で覗かれるかもしれない。しかし1.とおなじ理由で受けてに
すぐ飽きられるのがオチだろう。そして1.と同じように落ち込み。そしてやめる羽目になるのだろう。
最後、まとめになるが、決してだれもが、ブログでの発信が必要ないと言っているのではない。
むしろ、同じ代表者としてどんどん、前面に出るべきである。
ブログというほとんどコストの掛からなくて、効果的なツールを活用しない手はない。
ただ、その時にちゃんと「器」になるべく準備をしてから取り掛かった方が良いのである。
誰でも見る事ができる。知ることができる。というみんな共通の環境においては
見られる(見せる:魅せる)・読まれる(読ませる)という事がどういう事なのか?
という事を今一度考えてみてはいかがだろうか?
~まだ、続く~ 前編 記念すべき、1回目




